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生い立ち

生い立ち②

中学3年生 inタイ バンコク

父のいるタイに1年だけ家族全員で暮らすことになった。

大好きな父と一緒にいれることは嬉しかったが、いい子でいないと、父にも見放されてしまうという不安な思いも強かった。

また、母に反抗し、友達と遊ぶことが私のいろんなことの発散になっていたため、発散方法がなくなった。

それによって私の我慢、苦しさ、今までためていたものは全て弾けた。

初めは朝食べず、昼は学校で弁当、夜は米なしおかずだけ。

朝食べず、昼弁当残し、夜食べない。

朝、昼、晩 全く食べない。

となっていった。

昼は弁当だったが、昼時間は教室から抜けて、図書館やトイレ、人のいない階段などで過ごした。

弁当は一切口にせず捨てた。

夜ご飯は、学校から帰ったら即寝て、朝方起きて勉強するため、起きてから食べると言って夕飯も捨てていた。

家族とも関わらないようにした。

全く食べなくなるまでは、タイに引っ越してから、2か月くらいだったかな。

さすがに痩せていく。

自覚なし

親はサプリメントやプロテインを飲むよう勧めた。

自覚もないし、そんなもので栄養(カロリー)を取るなんて嫌だと思っていたので、もちろん食べなかった。

ドンドン痩せていった。

周りの友達も引いていた。

でも、引かれていたほうが、この状況に触れてこないし、食べないことにも触れてこないので、よかった。

タイの時は日本人学校に通った。

中学3年生のため、周りは受験で毎日勉強・塾。

私は中高一貫で休学扱いにしていたので、受験なく戻れるのだが、周りは勉強、勉強で遊ぶことなどしないので、私もひたすら勉強した。

人生でこの1年だけめっちゃ頭良かった。笑

体重30キロもきって、さすがに病院を受診させられた。

即入院となった。

この頃の私は

・タイは1年中暑いのに、私は常に寒かった。

・階段の上り下りも手すりなしではできなかった。

・骨が当たり、座っていても、寝ていても、体が痛かった。

・自分は一切食べないのに、姉にめちゃくちゃ食べさせた。

タイの入院生活は、

朝から夕方まで学校に行き→ 学校が終わったらそのまま病院に戻り→ 点滴をしながら一晩過ごす→ 朝病院からまた学校に行く。

30キロをきっているのに、この生活ができたのはタイだからだろうか?笑

点滴を打つと、体に栄養、水分がいきわたるからか、なおさら食べなくても平気で、元気でいられる感じがした。

お腹も全然すかないし、めっちゃ楽だった。

点滴は腕からではなく、腕の付け根に器具?を埋めこみ、そこに針を刺すと点滴ができる感じにしていた。

その方が時間あんまりかからないで、たくさん栄養おくれるのかな?

お陰でその入れていたところには、傷跡が今でも残っている。

ちなみに、タイの病院はこんな感じ(実際の部屋ではありません。)

物価が安いのもあって、入院費も安く、VIPに個室でした。

ただ寝るだけのためにこんなに広さいる?っていうくらい広かった。

朝食も豪華。

南国のフルーツ盛り合わせみたいのが出てくる。食べなかったけどね。

現状は点滴して食べてないから、全く変わらず、、。

学校は無事卒業し、日本に帰国。

もちろん、自分のおかしさに、自覚なし

どうなっていくんだよ~

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