エリート外資系サラリーマンの父・専業主婦の母・4つ年上の障害がる姉 の4人家族の次女として生まれる。
姉の障害は、生まれた時、脳に腫瘍があり、これはもう取り除いて大丈夫なのだが、その後遺症として右半身が不自由で、脳の発達も永遠の小学2年生といった感じ。
そんな姉の次に生まれてきたからか、小さいながら両親の期待を感じていたのかもしれない。
とても大人なしく、いい子だったとよく言われる。
3歳から6年半程、父の仕事の都合でベルギーに家族4人で暮らしました。
小さい時って本当にすごい!!
現地の幼稚園、小学校に入学したが、なに不自由なく言語も勉強も自然に吸収し、毎日楽しい日々を過ごしていた。
向こうでは、クラス全員が友達という感じで、グループ化やいじめなどがない。
遊ぶ時も全員一緒。喧嘩しても、手をパンパンとハイタッチのようにすると仲直り。
それが当たり前と思っていました。
しかし、、、
小学4年で日本に戻り、日本の学校に入った時は衝撃だった。
グループ化、いじめ、無視をする、流行りにのってないとダサい、みんな同じがいいetc...
この頃から自分というのは出せなくなった。
自分の思っていることは言えず、周りに合わせる。
話題についていけるよう友達と同じテレビを見たり、友達の好きな洋服にコーディネートを合わせる。
笑い方もベルギー笑いと言われるほど特徴的な笑い方だったが、それもいつの間にかできなくなっていた。
毎日寝る前必ず「明日も誰にも嫌われず、好かれていられますように!」とお祈りしてから寝るようになった。
そりゃ、病むよね!!笑
家でも父は単身赴任で不在。
母は姉のことばかり。
母は将来姉のことであなたに迷惑をかけないため今頑張っているの!とよく言っていた。
私は将来より、今自分と関わってほしかった。
少しでもいい子にしていないと見放されるという思いが強く、家でも気が休まらなかったし、学校のことなども一切話すことはなかった。
こんなことを思って過ごしていたなんて、今でも知らないと思う。
姉のことも今まで気にしたことはなかったが、日本に帰ってからは存在をなるべく周りに知られないようにした。
私自身、姉への態度も冷たくなった。
たまに帰ってくる父は、そんな私の寂しさを埋めてくれた。
母は姉。
父は私の相手をしてくれる。
いっぱい遊んでくれたり、会話もしてくれる。
私は父が生まれてからずーっと大好きだ。
そんな父に対して、母は良いとこどりだとよく言っていた。
中学生になると、行動範囲や帰宅時間が小学生の時より広く、遅くなる。
母は、門限が早く、習い事もたくさんさせられていたということもあり、学校が終わってもすぐ帰宅するよう言ってきた。
友達に合わせないと嫌われてしまうと思っていたので、私は母の言うことを守らないことにした。
母に怒られたほうが、友達に嫌われるよりましだと。
毎日のように帰宅時間、成績、習い事について、友達との長電話、休みの日に友達と遊びに行くことetc...怒られた。
自分からやりたいと言った習い事など1つもない。
休みの日に家にいても、母と姉がいる空間にいるのは辛いのに、毎週のように遊びに行くなと言われた。
腹が立ち、直そうとは一切しなかった。
この頃母は怒っていないときはなかったんじゃないかと思うくらい、常にイライラしていた。
最終的に「〇〇ちゃんと仲良くなったから、こうなった。ちがう子と仲良くなってよ!あの子の親も私好きじゃないのよね!」
と言った。
最低だと思った。
大好きな友達、そしてその親までもそういう風に言うなんて、悲しかったし、怒りしかなかった。
そこから、さらに私は反抗した。
母はそんな私と姉の両方を1人でみるのは大変だと毎日父に言っていたらしい。
どの結果、中3の1年間だけ父のいるタイに家族でいくことになった。
そして、中3の時発症。
全く食べず、ひたすら運動と勉強をし、ガリガリになった。
最低の時の体重は、21キロ
今でもこの数字ビビる。
次は発症してからのことかな!!
最後まで読んでくださりありがとうございます。
自分の経験など活かしてカウンセリングなど、行っていこうと思っています。
興味のある方は是非お問い合わせください!!