日本に戻って
高校に戻ったが、中高一貫だからそのまま友達はいた。
1年であまりの変貌っぶりに、引いてたね。。笑
摂食障害という自覚はないが、体力がなく食べれなくておかしいというのはわかる。
学校に行くのが辛く、行けないことが多かった。
母親に送ってもらったり、早退して迎えに来てもらったりが多かった。
1か月位で全く行かなくなった。
その頃は頭の回転も悪くなっているから、よく覚えてないけど、学校は休学扱いにまたしばらくしてたんだと思う。
病院には通った。
さすがに21キロとかだとね。
痩せすぎで危険だから入院になって、点滴とベットの上以外は動いてはいけないという制限。
なんで元気なのに、そこまで制限されなきゃいけないのか、腹立たしかった。
ナースステーションからも1番近い大部屋。
すぐに看護師さんがこれるよう、把握しておけるような場所。
だから一緒の部屋の人は少し危険な状態の方ばかりで、騒がしくなることも多かったから、それも嫌に思っていた。
そのくらい自分は危険な状態だったんだけどね。
入院しても、出して出してと毎日母に泣きついた。
(この頃も、父は単身赴任で不在)
母は毎日お見舞いに来てくれた。
姉もいるのに、犬もいるのに(小5の時から飼ってました)、毎日。
近い病院でも往復2時間だったかな。
遠い所だと、往復5時間とかの病院の時もあった。
当たり前だと思っていた。
母も心配だっただろうし、必死だった。父もいないのに辛く大変だったと本当に思う。
初めの入院の時はとにかく動かないで、栄養を入れるという感じ↓↓↓

点滴とか

鼻から直接胃に栄養入れたり
命をとりあえずつなぎとめるという感じ。
今、母は骨髄小脳変性症という病気で、目もあまり見えなければ、話すことも、動くことも不自由である。
全身の筋肉がどんどんなくなっていくんだって。
あんなにパワフルで弱音を一切はかなかったのに、今は私なんてとよく言う。
悲しい。
何もしてあげられないけど、迷惑をかけまくった母に少しでも親孝行してあげたいと思っている。
そんな母は、元気でいることが1番の親孝行だと言ってくれている。